どんなに苦しいときでも前に進もう。
最後までやり遂げれば人生で忘れられないほどの達成感を得ることができ、その経験が今後の人生において大きな力となる。
先日、高野山に登った。
真言宗の総本山である金剛峯寺と九度山町の慈尊院を結ぶ高野山町石道23.5キロメートルの山道である。
仲間もいるし、ハイキング程度と思いながら当日を迎えた。
スタート地点は慈尊院で、町石という高さ3メートルほどの石の柱が180番から始まる。
約109メートルおきにその石の柱があり、登る都度番号が減っていく。
ゴールは1番の柱までだ。
最初は元気よく、この程度かと思ったが午前中で75番。
これより急坂になり、道幅も狭くなる。
息が荒れる。
前に人がいない。
もし足を滑らせて谷へ落ちたら戻れない。
不安になる。
足が痛い。
このままでは遭難してしまう。
戻るには時間がない。
前に進むしかない。
20番石柱だ。
もう少し。
時間は15時30分まだ日は落ちない。
息を切らせもう駄目だと思った瞬間、そのときだった。
大きな朱色の門が見えた。
大門である。
着いた。
この達成感は忘れられない。
高野山は弘法大師空海が開いた場所で、当時は女人禁制であり、ご自身の母上も入ることができなかった。
そのため下山したところに慈尊院を造り、母上に住んでもらったのである。
大師は月に9度ほど慈尊院まで母を見舞いに行く。
もちろん歩きで。
母を思う気持ちが、どんなに道が険しくても往復させたのである。
私も170番を過ぎた頃から、祈りを込めてひたすら登った。
必ず道は開くと実感した。
人生苦しくてもうダメかもしれないと思うこともある。
その時はあの大門が見えた瞬間を思い出し、決して諦めないと思うのである。
今度は子供達と一緒に登ってみたいと思う。